吉川英治
※ステータスは初期値と()内に最大値を記入予定No.41 吉川英治 | |||
CV:阿座上洋平 | レア | 無 | |
派閥 | なし | ||
武器 | 鞭 | ||
精神 | 安定 | ||
ステータス | |||
攻撃 | 101(378) | 防御 | 120(447) |
回避 | 11(41) | 技術 | 46(166) |
天才 | 44(164) | 美 | 43(163) |
主題 | 40(160) | 真実 | 40(160) |
少々古風さを感じる言い回しをする。
「我以外皆師也」をモットーに生きる非凡な勉強家で、
敵との戦い以外でも自己鍛錬は欠かさない。
健康オタクでやたらと鍛えることを薦めてくるという欠点があるが、
それを除けば頼れる先輩と言うことが出来るだろう。
歴史好きでもあり名将や剣豪の名言に詳しい。
有碍書 | 文豪 | 発生 | |
ろ「恩讐の彼方に」 | 菊池寛 | 戦闘前 | |
は「山月記」 | 中島敦 | ボスクリア後 | |
・は「山月記」
洋墨 | 時間 |
400 100 50 | 1:30:00 |
文豪 | 洋墨 | 栞 |
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1892年8月11日-1962年9月7日
本名は英次(ひでつぐ)。
神奈川県生まれ。
1910年に上京し象眼職人の下で働く。
浅草に住み、このときの街並みが江戸の町を書くに当たって非常に印象に残ったという。
この頃から川柳をつくりはじめ、井上剣花坊の紹介で「大正川柳」に参加する。
1922年に東京毎夕新聞社に入り、次第に文才を認められ『親鸞記』などを執筆する。
関東大震災後、作品を講談社に送り様々な筆名で発表。
「剣魔侠菩薩」を『面白倶楽部』誌に連載、作家として一本立ちする。
1925年より創刊された『キング』誌に連載し、初めて吉川英治の筆名を使った「剣難女難」で人気を得た。
このとき本名の「吉川英次」を出版社が「英治」と誤植したのを本人が気に入り以後ペンネームとして使用するようになった。
※参考資料
https://ja.wikipedia.org/wiki/吉川英治
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