お奨め小説の廃止に代えて


—— 1 ——

『有田賞、中止』
題がそう書かれたガリ版刷りの紙を、箱崎王朗はクシャクシャに丸めました。

「まだ三回目だってのに」

クシャクシャにした紙をゴミ箱にポイと投げたが、
唯一つの吊り下げライトしかなく薄暗い五畳間の中では、ゴミ箱に上手く入らない様です。

「ええい、外した、外した」

箱崎はゆっくりもそもそ動いて、紙をゴミ箱に入れ直しました。
ゴミ箱の中には、箱崎が丹念にクシャクシャにした紙が沢山放られています。
箱崎には、いつか紙達の会話が聞こえて来そうな気がするのです。
いや、今じゃ心の中で聞こえます。

『おい新入りだ』
『僕の名前は「有田賞中止告知」です、今後とも宜しく』
『どこかで聞いた事がある挨拶だが、宜しく』
『皆さんクシャクシャ、僕もクシャクシャ…』

箱崎は頭をボンボン振って、机に向き直りました。
今度の有田賞に出す筈だった小説の下書きが、綺麗に整っています。

『アレイスター・クロウリーの復活』
『コロンゾンは未だに彷徨っている。私には分かるのです、テレマ僧院から聞こえる淫靡な叫び声が…』

「こんな作品、癪だ」

箱崎はその下書きを先ほどの様にクシャクシャにしようと思いましたが、
その時、下から声がしました。

「箱崎さん、電話ですよ」

これまた薄暗い廊下に出て、薄暗く狭い階段を降りて、
今度は明るい廊下を抜けて管理室に出向くと、管理人が受話器を持って待っていました。

「何でしたっけ、技府文士会の…鬼島さんからですよ」
「やあ、どうもすみません」

箱崎は掛かって来た用事が、聞くまでも無く分かりました。
彼もあの告知を見たのでしょう。


—— 2 ——


新橋の喫茶店『エルレガーデン』に、技府文士会の面々がやって来ました。

ある者はビクトリア朝時代の紳士の様なピッチリした服装で来ていましたし、
クシャクシャのシャツとジーパンを着てきた者も居ます。

箱崎はどうやら最後から二番目に入って来た様で、次に矢定飛鳥が一番最後に入ってきた様でした。
そして矢定はモゴモゴ言いました。

「いやあ、来るのが初めてでね…迷ったよ、この『エルカンターレ』に来るまで」
「矢定さん、エルカンターレじゃないですよ、エルレガーデンです」

そう注意したのは狐田虎太郎です。

わざわざマスターに頼んで、席を固めて貰い、皆が面を合わせる事が出来ました。
しかし欠員も居ました。

「スペインから来たホアン・ニコラス…あんな奴はどうでも良い、
残念なのは会主の五十三万丈さんが居ない事だ」

忍人吉が口を挟みました。

「狐田さん、いくらなんでもどうでも良いとか言うのは…」
「技府文士会にあんなふざけた野朗は要らないのですよ、それにスペインはフランコ体制で…」

箱崎は、ニコラスが社会主義的な作品を書いていたかはともかく、
いけ好かない野郎だったのは確かなので、小さく頷きました。
それに、この場であの年上で老けて訛った日本語を聞くのは嫌でした。

重ねてやはり五十三万丈会長が居ないのは残念です。
彼は文士会の中で一番級の尊敬を受けていました。
第二回の有田賞を取ったのも彼です。

そんな中で、一際重い顔をした白雲陽也が本題を切り出しました。
ちなみに彼が第一回の有田賞を取った者です。


「有田賞の廃止と…ついさっき東光社から通知が来たのですが、これが」

『技府文士会所属員への援助縮小』

「何だって」
「ああ何て事だ」

皆ざわめきました。
鬼島なんか歯をガチガチさせてこう言います。

「ああ、書く気が失せた」

箱崎も少し同じ気持ちでした。
有田賞の存在とその主催元の東光社の援助が有るから小説を書いていた部分も有るのです。

白雲は続けました。

「これは…つまり我々が話を書く後ろ盾を欠き始めている、と言う事です」

また場がざわめきましたが、鬼島が大きな声を出しました。

「東光社が集えと言ったからこうやって各々集い、書いて来たのに、
これでは滅茶苦茶だ…文士会の意味まで無くしてしまう」

しかし、狐田も静かながら重苦しく言いました。

「…我々には、賞に値する者も、援助する価値も無い、と言う所か…」

箱崎は黙って、コーヒーを啜りながら自分の価値をようとしたのですが。
その時、矢定が肩を叩いて言いました。

「帰りは一緒に行かないか」

もう帰りの事を考えるのか、と箱崎は思いましたが、快諾しました。


—— 3 ——


結局、有田賞の廃止と援助の縮小について騒ぎあっただけで、
箱崎としては苦い思いと美味しいコーヒーを得ただけでした。

矢定と共に新橋駅に向かう途上、二人は昔を思い出しあいながら話し込むのです。
二人は昔から友人だったのです。

「東光社と関わる前、文士会の前の愛好会の時から僕達話を書いてたね」
「そうだ、確かにそうだ」
「あの時は金なんか貰ってないし、賞なんて当然無かった」
「でも、そう言うのが始まってから、何だかもっと話を書こうと言う気が出てきたよ」

矢定は不思議にその時悲しいような顔をしました。

「どうかしたかい」
「果たして賞や金のために、と言うのは良い心がけなのか、僕には分からない」

矢定はそう言うのを聞いて、箱崎は何だかモヤモヤな気持ちになりました。
しかし、さっき狐田や鬼島が言った言葉も、頭の中で響いてきます。

新橋駅の階段を上る所で二人は別れました。

ホームに103系の電車が滑り込んできます。
意外に空いていて、何故だかそれが箱崎には不気味に思えましたが、
でも何とも有りませんでした。

夕焼け空が電車の窓から見えて、特に日輪の輝きが目に焼きつきました。

「そうだ、明日は日曜じゃないか…」

(続く)