というわけで、肯定派の人が読むとあまり良くない気分になると思いますので、できれば同意見の方、お願いします。肯定派の人が答えるなというわけではありません。ネタバレ有、長文注意です。
エクシリアのミラの使命うんぬんという主張もあまり好きではなかったのですが、エクシリア2における、世界の平和のために多少の犠牲は仕方ないという姿勢が非常に不愉快でした。
死ぬしかないでしょ、という空気でユリウスやルドガー、エルの死を受け入れる彼らを少しも理解することができませんでした。
死ぬしかない場面もあったと思います。でも、周りの特にエクシリアからの面々からそれでもどうにかしよう、目の前の命を助けたい、という思いが少しも感じられなかったのです。
大を守るために小を犠牲にするのか、これまでのテイルズシリーズで伝えてきたことは何なんだ…と思いましたねぇ…。
分史ミラに対するメンバーの反応もものすごく嫌いです。
分史ミラがいなくなってしまったことに対する反応の薄さってどうなんですか、正史ミラ帰ってきてよかったっていう感情しかなかったですよね。
分史世界はもともと存在しないものなのだから消えるのも仕方ないというのなら、何故エルが生き残るエンドがトゥルーエンドなのでしょうか。
ルドガーが生き残るエンドを別れの場面も終わりも詳しく入れれば、こちらの方がよっぽどトゥルーエンドらしかったと思います。
世界を守ると言いながら、その世界を構築している1人1人を思いやることができない奴らが、どうして世界を守れたといえるのでしょうか。
このエンド自体が悪かったとは思いませんが、このエンドにするのなら、もっと周りが何が何でもみんな助けたいという想いを見せた上でこのエンドにしなければ、世界のために犠牲は必要、という風にしか読み取れませんでした。ルドガーがエルの父親であることを差し引いても、です。
ハッピーエンドをご都合主義、と呼ぶ人がいますが、私は助かる理屈がある程度通っていれば、物語なんだから、それでもいいと思います。伝えたいことを間違えなければいい、そういう考えです。このストーリーの中では自分の使命を果たす、世界を守る、そしてそのために犠牲はしょうがない、という風に見えました。
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ゲスト 2014年07月03日 02:55:33投稿
ストーリー重視なったけどイマイチぴんとこなかった。
ゲスト 2014年07月06日 02:56:43投稿
私としては分史世界を壊すだけという単調なストーリーがあまり好きじゃなかったです。
加えて、分史世界を壊すことにメンバーがあまり躊躇しないというのも違和感覚えましたね。結局は壊すのはルドガーしかできないので、あまり自分たちが壊しているという感覚が少なかったというのもあるかもしれません。ガイアスさんは性格上、躊躇しなさそうなので問題ないですが…。
中でも、私が一番許せなかったのは、分史ミラが分史世界が壊してもいいの? というニュアンスを言葉にしたあとの、エルの「しょうがないよ」という発言でした。
カナンの地に行くには分史世界を壊していかなければならないとわかったあとだからといって、分史ミラの前でその発言をするのはどうなんだ? と思いました。幼いからという理由もあるのかもしれないですけど、そのせいで私はエルが好きじゃないです。
そして、質問者さんのおっしゃる、分史ミラに対する他のメンバーの態度ですが。私は、実際に自分に似たようなことが起きたら同じような態度をとってしまうと思ったので、そこまでマイナスな感情は抱きませんでした。
メンバーにとって分史ミラは正史ミラ同じ顔をしているだけの別人、しかも、一緒に行動した時間正史ミラと比べるとかなり少ないはずです。それを踏まえると、メンバーの態度が質問者さんの感じた通りになるのも仕方ないのかなー、と思いますね。
最後に、私は基本的にご都合主義と呼ばれてもハッピーエンド推奨派なんですが、エクシリア2に関してはバッドエンドが一番好きですし、何の前情報も無しでやったら、最初にバッドエンドになりました←
ゲスト 2014年07月07日 17:04:06投稿
テイルズオブシリーズはもともと2種類のタイプがあります。
まずひとつは、質問者さんのおっしゃるように、小を守らずして大は守れないといった考え方の作品です。
シンフォニアやヴェスペリア、グレイセスはそのタイプに当てはまります。
しかしそれとは対照的、小を消すことにためらってしまえば、結果的に手遅れになり大が滅ぶ。ならば、小が滅ぶことを受け止め前に進むという考え方です。
デスティニーやジアビスはまさにそちらよりな気がします。
エクシリアは1、2共に後者のパターンですね。
同じシリーズなのに、なぜ言っていることが違うか・・・。
それは各作品のキャラクターの発言からなんとなく分かります。
・この世に正しいという答えは無い。しかしだからこそ間違った答えも無い。だからこそ人は迷う。
・どれが正しくて間違っているか、そのたびに考えなくてはならない
とか。
例えば、ヴェスペリアのユーリは世界を救うために文明が衰退することを受け入れますが(マナはあるかもしれないけど、文明となるほどの一般普及はまだ先)、それはユーリが貧しい生活をしてきたからこその、ハングリー精神のようなものがあったからたどり着いた答えだと思います。
しかし、エクシリアのジュードはどっちかっていうと現代っ子に近い考え方。命があるだけでは生きてはいけない(移動手段ひとつ無くなっても人間は生きて行けない場合がある)考えになったことにも納得できます。
この2タイトルのEDは真逆に近いですが、それは主人公が歩んできた人生で学び、その上で世界を守ろうとした行動の結果だと思っています。
そういった所もテイルズの面白さだと思いますよ。
もちろん質問者さんの意見を否定するものではありません。
質問者さんは、ユーリやアスベル、ロイドの考え方に近いのかもしれません。
それは間違っていません。
しかし、ジュードたちの、犠牲を背負いながらも前に進むという思いもまたひとつの考え方あり、さまざま考え方持つヒトの心は悪なのかもしれません・・・。なんてw
あとちょっとフォロー。
ユリウスさんの死を割り切っていたのは、国王であるガイアスと精霊の主のミラ様のみ(この2人は立場上、ユリウスをかばってはいけない)で、ジュードたちは思いっきり迷ってましたよ。ルドガーが殺すことを否定すれば「他の方法を探そう」と言ってくれます。
分史ミラにしても、ジュードは最後までミラを助けられなかったことを悔やんでいます(スキットより)
レイヤとエリーゼが合流時、正史ミラがきて喜んでいたのは、分史ミラが死んでいることを知らなかったからです。なぜならこの直前のエピソード2人は不参加。
その後、エクシリア1キャラに話しかけると、ランダムではありますが、分史ミラが死んだことにとてもショックを受け、己の無力さを悔いています。
個人的にはルドガーEDよりエルEDの方が好きです。
ルドガーは、エルを守るといった目的と、オリジンの審判を終わらせるためにカナンの地に行ったわけですから、エルが死んでしまったら目的達成ならずですよ。
だからと言って、エルを助けるようにお願いしたら、審判は人間の負けで、人間(エル含め)はマナを生む機械になるわけで、エルのタイムファクター化はもともと(とどめはビズリーだけど)ルドガーが背負うべきものを肩代わりしていたわけで・・・。ルドガーが死んでしまうのは悲しいけど、仕方ないかな??と・・・。
ルドガーEDだと、エルがまた生まれてくるような伏線が張られていますが、生まれてくるのは違うエルであって、一緒に旅をした相棒のエルではないわけで・・・。ラルさんにしてもあの時点で恋愛感情は0でしょうし・・・。
エルEDでジュードたちは、ミラと、それこそ一生会えないかもしれないのに、その視線はずっとルドガーに注がれていました。あれはジュードたちのルドガーに対する敬意のようなものに感じました。
好みは分かれるかもしれませんが、私は好きな話でしたよ。
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