エンディングを見たのですが、ストーリー中に理解出来なかった点、気になった点がいくつかあります。
?神取の目的は何だったのでしょうか?
? 船の上で天誅軍の兵士と銃撃戦をしていましたが、克哉の銃で兵士が死んでいたような気がします。あれは殺人と見てよいのでしょうか?(殺人だとしたらショックです)
?上と似た疑問ですが、終盤のテレビ局でブラウンの足元に倒れる兵士を調べると『事切れている』と出ます。これも殺人でしょうか?
?最後、達哉は向こう側に帰りましたが、向こう側には向こう側のリサや栄吉や淳がいるのでしょうか?罪の世界で戦った仲間達がいるならまだ寂しさはないのかなぁと思いました。
どなたか回答頂けると有難いです。
ゲスト 2016年11月09日 12:42:04投稿
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まず神取の背景について。
彼は、シリーズ初代作品である女神異聞録ペルソナの「セベク・スキャンダル」を起こした張本人です。
そんな彼のペルソナに関する知識や技術力を欲した新世塾によって、噂の力で復活させられました。
そのため「表向き」は新世塾に忠誠を誓っており協力的な態度を取っています。
また彼は達哉同様ニャルラトホテプに魅入られ、かつそれを自覚したうえで、ニャルの思惑通りに行動することを潔しとしています。
つまり、新世塾がニャルの単なる捨て駒に過ぎないと分かったうえで、それに忠誠を誓い、達哉や南条達の障害をあえて演じています。
よって神取の目的は、
新世塾による理想世界創造の手伝い・・・もとい、ニャルのシナリオ上における自分の役割を演じきることです。
また、ペルソナ ワールドガイダンスというファンブックでは、
「かつてセベク・スキャンダルで刃を交えたような、運命を切り拓く人間への興味もあったのかも知れない。」
という解釈がされています。
余談ですが、
本作のアートディレクターである金子一馬氏は、
本作の神取はニャルラトホテプが作った偽物だと解釈しているようです。
設定的には目玉がついてないようで、前述のファンブックではその様子を描いたイラストが載っていました。
(前作で登場したヒトラーの正体はニャルであるため、噂で蘇った死人はあくまで偽物なのかもしれません。)
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おそらく銃殺としてみていいかと。
天誅軍は上からの命令は絶対服従という設定なので戦闘中でのコンタクトができない敵です。
まあ仕方ないとはいえ、パオフゥに「須藤竜蔵は殺すのではなく逮捕する」といっていた克哉が銃殺していると思うとショックなのは分かります。
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事切れるとは、息が絶えるという意味なので・・・はい。
罪世界では、
仮面党が危ない集団という「噂」が広まった結果、仮面党員もといリーダーのジョーカー(淳)が凶暴化しましたが、
淳の良心が抗い、仮面党員に「ラストバタリオンから街の人たちを守れ」と命令した結果、ジョーカーは良い人かもしれないという「噂」が広まり、淳は元に戻れました。
しかし、仮面党員の一部は元に戻っておらず、水晶髑髏の眠る宮殿にて、達哉達を襲ってきています。(党員はコンタクト不可能)
天誅軍はただでさえ上から命令は絶対服従という決まりがあるのに、街の人達から良くない噂をされたら、とてもじゃないですが野放しできる存在ではないので殺人はもう仕方ないかと。
気絶させても復活したらまた襲ってきそうですし。
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一応今作のシナリオライターである里見直氏によると、自分の中では答えがあるようですが、それは語るべきじゃないと考えているようです。(下画像より)
自分の個人的な解釈で結論をいえば、
向こう側(罪世界)には、もうリサと栄吉と淳はいないと思います。
もともとは、
記憶を犠牲にし、五人の出会いをなかったことにした新しい世界(罰世界)を作りだしたあと、その新しい世界の自分達の意識と同調する(罪世界での記憶は眠ったまま)という計画でした。
要はこの時点で、罪世界の達哉と舞耶とリサと栄吉と淳の五人は、自分の世界と身体を後にして罰世界にいってしまっているわけです。
達哉はどうしても大切な記憶を忘れたくなかったため忘れることを拒否した結果、本来罰世界にはないはずの記憶を持ち続けることになり、世界に揺らぎをもたらす特異点となりました。
そのため罰世界の自分との同調に失敗したのですが、
他の四人は罰世界の自分との同調に成功してしまっているので、達哉と違い罰世界の自分の身体から分離できるとは限らず(おそらく出来ない)達哉を追って罪世界に帰ることももう叶わないと思います。
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(ここから余談)
罰世界は、五人が罪世界での記憶を思い出さないというルールで成り立っています。
淳は、達哉との「舞耶を守る」という約束を守る・・・つまり罰世界を守るために絶対に罪世界での記憶を思い出すことはないため、二度と親友達と会うことができません。
ラストダンジョンでの選択肢により、栄吉とリサは罪世界での記憶を思い出してしまいますが、
思い出さないければ、淳と同じで二度と親友達に会うことはできず、
思い出してしまえば、罪世界に残してきた影人間化してしまった自分の大切な人達や、家族、雅、そして罰世界を守るために去った達哉とは二度と再会できないことを一生後悔しながら生き続けることになります。
この作品では、
人のシャドウの集合体であるニャルラトホテプを迎え撃つには「すべてを受け入れること」と設定されています。
舞耶が死に世界が滅んだあと、その事実を受け入れられない四人は、今度こそニャルの好きにはさせないと、新しい世界を創り出しましたが、
ニャルを迎え撃つには、ほんとうはここで舞耶の死と世界が滅んだことを受け入れて罪世界で生きていかなくてはいけませんでした。
舞耶は死に際に「私のことは忘れなさい」といいましたが、ほんとうなら忘れろと言ってはいけなかったのです。
忘れさせてしまったら、火事による悲劇を受け入れずに記憶を封印してしまっていたかつての四人となんら変わりがないからです。
達哉、舞耶、リサ、栄吉、淳の五人はそれぞれ救いがないようにみえるのは、間違った選択をしてしまった故の「罰」だと自分は解釈しています。
ただ今作のプロデューサーを務めた岡田耕始氏がいうように、
「罰」には悪いイメージの意味しかないわけではありません。(下画像より)
神取は劇中で、
「光には光の、影には影の役割がある」と発言しています。
劇中で、穢れを抜きとられた結果おかしくなってしまった人々をみてもわかるように、人間は目を背きたくてもシャドウという存在を受け入れなくてはいけません。
そしてニャルを倒せたのは、
舞耶達の行動により人々の心に変化が訪れたことはもちろん、
達哉が「すべてを受け入れた」ためです。
彼が目を背きたくなるような惨状である罪世界に帰る決意ができたのも、「すべてを受け入れた」ことに起因します。
本作の物語はあまり救いないがようにみえますが、
「罰」の意味、
達哉が罪世界を復興させようと決意できたこと、
そしてEDテーマである「change your way」の歌詞(舞耶から達哉へのメッセージ?)
を考えてみると、それなりに救いもあると思います。
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