萩原朔太郎
※ステータスは初期値と()内に最大値を記入予定No.003 萩原朔太郎 | |||
CV:野島健児 | レア | 金 | |
派閥 | 北原一門 | ||
武器 | 銃 | ||
精神 | 不安定 | ||
ステータス | |||
攻撃 | 185() | 防御 | 121() |
回避 | 70() | 技術 | 49() |
天才 | 50() | 美 | 49() |
主題 | 50() | 真実 | 43() |
しかし孤独は嫌いというかなり面倒な性格。
詩に対して高い理想を持っており一人それを追求し続けている。
詩のこと以外には頓着しないため寝ぐせがついていたり、
着物の帯が下手な蝶々結びになっていたり、靴の左右が逆だったりする。
運動神経が悪く何かにつまづくことも多い。
有碍書 | 文豪 | 発生 |
は「山月記」 | 北原白秋 | 戦闘前 |
洋墨 | 時間 |
400 100 50 | 4:30:00 |
文豪 | 洋墨 | 栞 |
大正時代に近代詩の新しい地平を拓き「日本近代詩の父」と称される詩人。
朔太郎の名前は、長男で朔日(ついたち)生れであることが由来。
少年時代から神経質かつ病弱で、周囲からのけ者にされていると感じ孤独を好み、一人でハーモニカや手風琴などを楽しんだ。
1900年に中学校へ入学し従兄弟の萩原栄次に短歌を教わったのをきっかけに、創作活動を始める。作品には与謝野晶子の影響が見られる。
後に与謝野晶子の夫となる与謝野鉄幹主宰の『明星』に短歌が掲載され、石川啄木らとともに「新詩社」の同人となる。
学校をさぼっていたので中学は落第。その後も様々な高等学校に入学や落第、退学を繰り返す。
慶大予科へ再入学してマンドリンを習い音楽会やオペラを楽しむが、精神的苦悩に悩まされてまたも退学。
1913年に北原白秋の雑誌『朱欒』に「みちゆき」ほか五編の詩を発表し、詩人として活動を始め、そこで室生犀星と出会い、生涯の友となる。
室生犀星、山村暮鳥と3人で詩、宗教、音楽の研究を目的とする「人魚詩社」を設立し、雑誌『卓上噴水』を創刊。
1916年6月に室生犀星との2人雑誌『感情』を創刊、翌年に第一詩集『月に吠える』を自費出版。確固たる地位を確立し、森鴎外の絶賛を受ける。
1919年5月に上田稲子と結婚し、娘が2人生まれる。
1923年に『青猫』『蝶を夢む』を刊行。
1927年ころから三好達治、堀辰雄、梶井基次郎などの書生や門人を多く抱えるようになる。
1929年には離婚、娘と実家へ帰る。
1934年に詩集『氷島』を刊行し、明治大学の講師となり師の講義を担当。
1936年、前年に雑誌『文学界』に連載した「詩壇時評」により第八回文学界賞を受賞。
「詩歌懇和会」の役員となる。
「透谷文学賞」が設立されると島崎藤村、戸川秋骨、武者小路実篤と共に選考委員tなる。
数多くの執筆活動、座談会や講演をこなす。
1938年4月に大谷美津子と結婚。(入籍はせず)
1942年4月に明治大学の講師を辞任し、翌月11日に急性肺炎で死去。
※参考資料
https://ja.wikipedia.org/wiki/萩原朔太郎
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