徳田秋声
※()内はステータス最大値No.0078 徳田秋声 | |||
CV:渡辺拓海 | レア | 無 | |
派閥 | 尾崎一門 | ||
武器 | 弓 | ||
精神 | やや不安定 | ||
ステータス | |||
攻撃 | 120(447) | 防御 | 97(354) |
回避 | 96(336) | 技術 | 48(168) |
天才 | 40(160) | 美 | 40(160) |
主題 | 40(160) | 真実 | 48(168) |
如何せん目立たず存在感が薄いことは否めない。
それを気にしているのか性格はひねくれ者であまのじゃく。
同郷の兄弟子である泉鏡花からも振り回されていた他、
師匠の尾崎紅葉にも一度入門を断られていたらしく、
その苦労性は天性のもののようだ。
有碍書 | 文豪 | 発生 |
は「あらくれ」 | 泉鏡花 | 戦闘前 |
に「破戒」 | 島崎藤村 | 戦闘前 |
い「田園の憂鬱」
洋墨 | 時間 |
400 100 50 | 0:40:00 |
文豪 | 洋墨 | 栞 |
本名は末雄。
小学生時代には1学年下に泉鏡花がいたが顔見知り程度だった。
中学校に入学したころから好んで読書をするようになり、上級生から小説家になることを勧められる。
勉強は英語と漢文が得意で、群を抜いていた。
父が死去したために中学校を中途退学し、翌年1892年に尾崎紅葉の門をたたくが玄関番の泉鏡花に紅葉の不在を告げられる。
原稿を郵送するも、「柿も青いうちは鴉も突き不申候」の添え書きと共に送り返された。
役所の雇員、新聞記者、英語教師をしながら放浪生活を送った。
「秋聲(秋声)」の筆名は、自由党機関誌「北陸自由新聞」の編集をしていた頃の私記「秋聲録」から使い始めた。
1895年に紅葉の門下に入る。泉鏡花、小栗風葉、柳川春葉とともに紅門の四天王と称される。
1900年に読売新聞に連載した『雲のゆくへ』が出世作となるが、地味で質実な作風だったため4人の中では影の薄い存在だった。
1915年、読売新聞に長編小説『あらくれ』を連載。夏目漱石は『あらくれ』について「何処をつかまえても嘘らしくない」「徳田氏の作物を読むと、いつも現実味はこれかと思はせられる」と評価した。
※参考資料
https://ja.wikipedia.org/wiki/徳田秋声
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