ジョナサン・スウィフトやトマス・モアや宮武外骨や大勢の人に捧げたい
いや、本当は羊を焼いて報うべきなのだけど、私は割礼をしていない

原題元ネタ
「船医から始まり後に複数の船の船長となった
レミュエル・ガリヴァーによる世界の諸僻地への旅行記四篇」

つまりガリバー旅行記!


これは1701年、サザンプトンを出航し東方航海へ出たアーネスト・ジョンストン氏の
決死の航海と、その航海の果てに行き着いた技府国の様子、文化、風習を書き記した物である。
編集はジョンストン氏本人と、甥のジョナサン・ジョンストンによる。


—— 1 サザンプトンからマラッカまで、自己紹介 ——


私の父親はシェフィールドにわずかばかり土地を持っていた。
私はその五人の息子の二番目である。

色々思い出したくない事があって、気づけばネーデルラント(オランダ)のライデン大学へ
留学し、そこで二年と七ヶ月、医学を学んだが、ろくすっぽまともな事は覚えていない。
ただ、学友にレミュエル・ガリバーと言う者が居て、その時は何でもない男に見えたが
噂によるとあの後、小人の国や巨人の国、ラプタ、そしてフウイヌムの国へ旅行し、
仕舞いには気が狂ったという。

取り合えず、私は名義だけでも医者の位を取得し、イギリスに戻ってから
サザンプトンの海軍医学局に雇われ、晴れて私はイングランドの誇るべき医者連の仲間入りを果たした。

そこで数年陸勤めをしていたが、西印度方面艦隊への乗船を求められ、
それからは一年半、サザンプトンとジャマイカやバハマを往復した。
その時の原住民達との交流は、後に私の役に立つ事になる。

1701年3月中旬、私は東方艦隊への転属を求められ、快諾した。
と言うのも、そちらの方が給料が良いからである。

航海は早速行われた。
4月初旬には早速艦隊の編成が行われ、私は古びたガレオン船キングオブジョンの船医となった。
しかしこの船はやはり名前と相成って、性能が悪かった。
船員からはシンプルトン(のろま)と呼ばれ、この航海に耐えられるかも分からないのだ。

しかし航海は実行に移され、4月の末頃、七隻からなる東方艦隊は出航した。

航海は順調に進んだ。
途中、軽い嵐に見舞われながらも、セントヘレナ、ケープと英領港を継ぎ、
ポルトガル領モザンビークで補給を得て、そのままカリカット、そしてマラッカへ向かった。

今回の航海の目標は、清から新種の香辛料を得、またそれを持ち帰る事だった。

マレーとスマトラの間の海峡に差し掛かった頃、現地の海賊が無謀にも我々に攻撃を仕掛けてきた。
我々は英国の公認艦隊であるから海兵二個隊分の兵力を持ち、簡単に追い払う事が出来たが、
哀れにも我が乗船シンプルトン、いやキングオブジョンは船底に火薬で穴を開けられ、
やや不安定な状況に追い込まれた。
それでも我々はマラッカに到着した。


—— 2 ヴェトナムとの誤解による戦い、漂流 ——


マラッカで補給を終えた我が東方艦隊は、広州を目指し、
マラッカ海峡を抜けて北へ向かった。
キングオブジョンは一応の修理はされていたが、まったく充てにはならなかった。
船員達の中では、常時体に浮く物をつけている者も居た。

途中、いよいよハイナンが地平線遠くに見えたと言う時、事件は起こった。
ヴェトナムの臨検隊が船に近付いてきたのだ。

まともな通訳も居ない中、どうにか漢字の理解できる者が文字でやり取りした所によると、
ヴェトナムのキリシタンが外国船に乗り逃亡しようとしていると言う事だった。
我々は当艦隊の、そして後続に来るであろう艦隊の為に臨検を受け容れたが、
運が悪い事に、三隻目にマラッカで拾った東洋人の水夫の仲にヴェトナム人が居たのだ。
その者はキリシタンではなかったが、臨検隊は激高し、そいつを連れて行った後、
なんと花火で他の艦隊を呼び寄せたのだ。

これは争いになると言うデビス司令の判断により、臨戦態勢を取りながら我が艦隊は急いで
広州へ向け、逃走を始めた。

だが、地(海だが)の利はヴェトナム海軍に有り、連中は果敢にもあのジャンク船で
そして物凄い速さで我が艦隊に迫ってきた。
それと同じくして、雲も怪しくなってきた。

連中は我々に追いつくと、のろまと言う仇名の通り一番遅れを取っていた私の乗るキングオブジョンに
砲撃をして来たのだ。
最初の一発は海に落ち、後の二発が見事に船腹に当たった。
哀れな我がシンプルトンなるキングオブジョンは、それだけでボコボコ変な音を出しながら沈み始めた。
私はもう腹を括って、医療道具の箱(これは良く浮くのだ)を抱えて海に落ちた。

海でプカプカ浮いている間、他の船員達もボチャボチャ落ちてきて、
また向こうではジャンク船が別の船を攻撃しているのも見えた。
あちこちで火柱が上がる中、突如嵐が起こった。
そこからはもう覚えていなかった。


—— 3 技府国、恐らくフィリッピンの北か ——


私は生きていた。
どこかの海岸に漂着したのだ。

急いで起きて周りを見回すが、他の船員の姿や、船の残骸の見えなかった。
私の医療道具の箱も何処かに消えている。
手元に残ったのは、ずぶ濡れの衣服と、レイピア、僅かな金貨ぐらいだった。

辺りには南洋の木々が生え、恐らく此処は亜熱帯のどこかの島である事は分かった。
私の知識が間違っていなければ、スペイン領のフィリッピン等と良く似ている環境だが、
木々の数が少なく、実も実らぬ木々もある為、少々北に位置するのかもしれない。

原住民は居ないか、何か食べ物は無いかと、海岸線をトボトボ濡れた姿で歩いていると、
まさに原住民らしき者が、海岸の高くなった場所に腰掛けて釣りをしていたのだ。
しかし、我々が考えるような、南洋の腰蓑しか付けていない原住民とは違い、
立派な衣服を身に着けていた。

私がどうにか大声を上げて、とりあえずHELPと言うと、その原住民は驚いて振り向き、近寄ってきた。
しかし当然言葉が通じない。

「〜kめwんおsfぼsぼ」
「What?」
「ぢfどおsじょfjfしhv」
「hmm…」

こんな感じである。
だが彼は私が漂着した人間である事を理解した様で、私の袖を引っ張り、
恐らく彼の住む集落へと連れて行ってくれた。

彼が何度も繰り返す所によると、此処はワザフだと言う。

(続)