リョウはミトラにスミオを見ていた
スミオの契約が物語のすべての始まりであったといえる。
では、彼は何を望んだのか?ズバリ、キョウコとリョウの永遠の別れである。
彼は、そのために自らの死と魂をミトラに捧げたのだという。
では、リョウはミカに関することで、ミトラと契約を結んだのか?
これは否である。リョウはミトラ=スミオと思い込んで接触していたらしい。
それほど、スミオの存在が大きかったのだろう。そのスミオの契約を
実行するにあたって、リョウにミカという存在を示し、自分の意思で
“守るか”“守らないか”を選ばせたあたり、ミトラはリョウに対して、
公正の神の威厳を示したといえるのか・・・・・・。

リルはチサトに救われた
実は、校長もリルもミトラとの契約者であった。
代償はやはり、それぞれの死である。高橋キミカのきれいな顔が、
校長室にあったのは、ミトラの意思が働いていたからだという・・・・・・。
だが、ミトラに魂を奪われる以前に、彼はチサトによって滅ぼされる。
[慟悪]で、突然校長室が崩壊するが、あれは、チサトの意思で起きた
現象なのだそうだ。ゾロアスター教の世界では、死後、チンワト橋を
渡って裁きを受けるという。ラシュヌ(チサトのモデルの一柱)の
天秤が善に傾けば橋は太く安定するが、悪に傾けば橋は刃物のように
細くなり、地獄へ堕ちていくという。まさに、その地獄堕ちのイメージであった。
逆に、リルは助かった。これは、花子さんとなったチサトの救済を
受けたからだという。父親が身代わりになってしまった(リルがダイブするとき下を通った)
代償はリルにとって、重いだろうが・・・・・・。
*[慟悪]で崩れたはずの校舎が、[エピローグ]では無事だった。
この現象を不思議に思った人もいただろう。これは、滅びという
裁きの現場をチサトの超常の力が映像化して見せたものだと考えられる。

スミオとヤヨイは、どうやって知り合ったのか?
スミオはヤヨイの正体を知っていた?
キミカと同じように「ロストハイウェイ」で知り合った仲です。
2人は通常の男女関係にありましたが、ヤヨイに密かに洗脳され、
スミオは少しずつ変貌していきます。といっても、
もともとがあんな感じの男なので、だんだんとヤヨイに違和感を感じ、
手に負えない巨大な渦に巻き込まれていることを認識します。
そんなスミオも、キョウコとの関係に胸を焼けつく想いを感じて、
ミトラに引き込まれていきます。そして、無意識にヤヨイの背後にミトラを感じ、
ミトラへの接触を図っていった・・・・・・・。
そんな感じです。

[変嫉]で、チサトがミカにいった「妖精のイタズラ」の結末は?
「トワイライトシンドローム」の隠しシナリオ[Prank]が、 [変嫉]のオリジナルになります。[妖精のイタズラ]の数々は「トワイライトシンドローム」のコンセプトとは違うもので、「ムーンライトシンドローム」のプレイシナリオと考えていただいて結構です。このあたりの説明は、内部的な人間関係を含んでいます。
“常軌を逸した行動”“なまなましい言葉”“人をあやめる(もしくは、
あやめられる)”といったミカ。これはすべて「妖精のイタズラ」に
巻き込まれたがためにとった行動。だから、ミカがどんな行動をとろうと、
リョウはミカを許すことができる。
ミカに・・・・・・というより、リョウに対して、妖精が与えた試練です。
この段階で、ミトラというキャラクターはまったく考えられていなかった
のですが、この妖精がミトラの原形と考えていただいてけっこうです。
*「妖精のイタズラ」の結末は?その答えをチサトは何も語らなかった。
ミトラの存在を敏感に察知してのことだろう。かわりに、
ミカの周辺に気を配るようにしていたのではないか?でなければ、
[変嫉]でチサトとユカリとミカを救出できはしなかったろう。

リョウがミカに告げた「月の悲しみが溢れる時、2頭の禁欲な馬に
見送られて・・・すべてを許せる人に」というセリフの意味は?
「月の悲しみが溢れる〜」は、最初から「ムーンライトシンドローム」の
イメージを意識して書かれました。「ムーンライト〜」というタイトルや、
エピローグの展開を暗記しています。
「すべてを許せる人に」は、「トワイライトシンドローム」で、岸井ミカが
とった行動(いたずらに物語を創った)への自戒の念。そして、
そのミカという人間を、リョウが許せるのかという問題を示しています。
スミオへの愛憎に近い感情を抱きながら、そのスミオと関係があった女性を
守ることに、リョウは耐えることができるのか。それらの、ごちゃごちゃした
ミカとリョウの関係を表しています。

クラブでスミオが高橋キミカの犠牲になった後、
リョウにキョウコから電話が入るが?
時間的には、キョウコの死、次いでスミオの死が正しい?
ミトラがかかわった物語の時間の概念は、現実の時間とは異質なものと
考えて下さい。人の死を認識する重みを、時間の長さという感覚で表しています。
ミカの同級生にとって、キョウコの死は生活に影響するものではありません。
そのため、認識がもっとも浅く、しかも最も早く、ゲーム中の[プロローグ]で、
会話形式の情報として説明されます。次にミカがニュースで、クラスメイトとの
会話以上の情報を知ることになり、[夢題]ラストシーンで、最後にリョウが認識
するわけです。キョウコと最も深い時間にあったリョウが、最も長い時間でもって、
キョウコの死を認識するわけです。
身近な人の死。そういった誰もが感じることがある(あるいは、感じることに
なるだろう)死に対してのギャップを、時間的にずらして見せることで
表してみたのです。

[エピローグ]最後の“大樹シーン”に出てきたヤヨイが、
その直後、現実世界に登場しますが・・・
最も無垢で、原始的な場所が“この世の果て(大樹のシーン)です。
ヤヨイは、リョウに対する好意やそのほかの感情を取り払って、
“この世の果て”で、リョウと再会します。“この世の果て”でのヤヨイは、
人間に最も近い状態でリョウやすべての結末をみとどけ、そのあと、
物語を終わらせるために、最後の現実あるミトラの絶体絶命を見届けた。
そんなところです。
なぜ、ルミが“この世の果て”にいなかったのか?それは、ルミを大事に
書くことができなかったからです。ルミの描写には、悔いが残りました。

ヤヨイのセリフに「かわいそうな子」という一語があるが
ミトラは滅んだのか
滅びました。ミトラも犠牲者であったのです。ある意味、
ヤヨイはミトラの忠実な奴隷でしたが、裏を返せば、ミトラはヤヨイに
利用されて滅んでいったといってもいいでしょう。
ヤヨイのミカに対する、嫉妬とでもいうのでしょうか。

“この世の果て”は、リョウの中の最も良い思い出が映像と
なって現れた場所と考えていいのか
良いです。

他の人には、それぞれの“この世の果て”の
ビジョンがあるのか
この作品に関しては、物語の中に登場する草原が、統一された
“この世の果て”のビジョンとなります。ミカ、チサト、ユカリといった
人物も、“この世の果て”に回帰する時、郷愁の地として、
あの空間に思いを馳せます。

自分で自分の道を行け
善と悪が対立するゾロアスター教では、自由意思が尊重されていたという。
つまり自分の意思で、善の神の陣営を選んだのだと自覚して、
悪と戦わなければならなかったのだ。
要するに、“自分のことは自分で責任を持て”ということをいいたかったのだろう。
自分の中に悪の芽を発見したら、自力でその芽を摘み取れということを。
もちろん、人の助言を否定するわけでもないだろう。リョウがその答えに
たどりつくまでに、キョウコやチサトの力添えがあったように。
最後にリョウは、自分の中の弱さやもろさとじっくり向き合ったあとで、
巨大な力であるミトラに立ち向かう道を選んでいった。そして、また、
その結末をどう読み取るかは、プレイヤーの自由な意思にまかされている

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